「ラブライブ!サンシャイン!!」 1期第3話を見直してみた
タイトル通り1期の第3話を見直してみた。
率直な感想から言うと、
今の2期のどうしようもない惨状に比べると全然マシで笑った。
やっぱり初期の小さな歪みが話数を重ねて大きな歪みになっちゃってるんだなあと実感させられた。
1.そもそもなんで1期3話なのか
見直すにしたってなぜ1期3話なのか。
理由は2つある。
- 単純に話の区切りだから
- 個人的にサンシャイン!!始めの「あれ?」だったから
1つ目は文字のまんま、結成→ファーストライブ、と1~3話で描いてきた物語の序章となる部分の結末を見たかったのである。ホントなら1,2話も見るべきなのだが面倒なので3話だけ見ているのである。
2つ目の方が、理由としては大きい。
「サンシャインはどんな物語になるんだろう」とワクワクしながら1話2話と見ていった先で3話の結末を見たとき、「あれ?」となってしまった。今はもう「あれ?」を通り越して「は?」なのだが、思えばこれが一番初めの違和感であった。なんの引っかかりもなしに結末を受け入れることができなかった。
そんな思い出深~い1期の第3話を改めて見直したくなったのだ。
2.当時の引っかかりポイント
1項から言ってる放送当初感じた3話の違和感はなにか。
それは、やはり3人で行うライブシーンから先の展開だろう。
- μ'sをなぞるように観客は満員には程遠い状態
- さらに追い打ちをかける停電
- あまりの絶望に泣きだしそうになる千歌
- しかしそこへ一筋の光と共に町の人が集まってきた
- なんと千歌はライブの時間を間違えていたのだ
- 明かりがついた時には目の前に満員の観客
- ファーストライブは大成功をおさめた
こうして箇条書きにすると何がそんな不満なのかという感じであるが、私の不満は、実際に本編を見ても上記の箇条書きを読むのと同じような感覚になることだ。
つまりは、説得力がなさすぎるのだ。
確かに千歌たちは頑張っていた。練習もしたし、ビラ配りもした。
ただ、満員にするほどのプラスアルファがあっただろうか。大した努力もなく大成功している。
突然のご都合展開に当時唖然としてしまったことを覚えている。
しかしだ。
この成功という事実に関しては、今はそれほど強く否定できない。
なぜならここでの成功は後の東京での失敗につながっているからだ。
詳しくは後述するが、「内浦の住民の温かさ」がどれだけ重要なものであったを知る展開のために必要と言えば必要な要素であった。
どちらかと言うと当時の不満の大きいところは、「時間を間違えてた」というふざけた理由でμ'sをなぞろうとしたところだろう。
途中まで無印と同じにしたかった匂いが前面にあふれ出ており、「μ'sと同じだと思った?残念違いましたー」と煽られてるようにすら感じる。
本気の本気で取り組んだ大事なライブの時間を間違えないでしょ普通。間違えるんだったら本気で取り組んでないでしょ。
千歌はバカキャラに足を引っ張られすぎている。μ'sの誤読もそうだが、普段はバカでも大事なところはちゃんとしていた方が説得力が出るのに、大事なところもバカだから逆に説得力を失っている。
とまあ、当時はこんな感じで「あれ?」と思ったのだ。
3.改めて見直してどうか(2項以外の部分)
先に、2項の指摘「以外」の部分から書く。
なんか見やすい
視聴後まず思ったのがこれ。なんだこれは。
すごくスッキリしているのだ。主要キャラが3人でコンパクトなので千歌、曜、梨子、とそれぞれの感情を受け取りやすい。1人1人がちゃんと喋っている。彼女たちが何をしたいのか分かる。
逆に今はごちゃごちゃしすぎだ。本来、話数を重ねながら人数が9人になったので、この3倍充実しなければならないが、現状1人1人が薄まっているだけに思える。
なんか仲良さそう
散々Aqours仲悪い仲悪いと言っているが、2年生だけだとまだ仲良さそうだ。
ギャグシーンも嫌味なく、むしろ仲の良さを強調するように微笑ましく使われており、ノルマのように挿入される某堕天使のくだりとは全然違う。
グループ名決めで曜の案を2人に速攻否定されて曜が嘆いてるシーンとか、ただの都合のいいユーティリティプレイヤーになってしまった今の曜を知ってると感動すら覚える。
なんか真面目
この頃はまだ本気でスクールアイドルとして輝きたい3人がいる気がする。
練習して修正点をお互い挙げて、衣装作って、ビラ配りして、夜遅くまで話し合って。そりゃ始めの3話なんだから丁寧に描くのは当たり前かもしれないが、いきなり曲が出来たり、ぶっつけ本番で演出変えたり、参加人数変えたりしてない。本番の成功に向けて積むべきものを積もうとしている。
うーん……少し褒めすぎだろうか。
上記で褒めてる部分は全て普通のことであり、あくまでも現状と相対的に見て、マシな程度であることを忘れてはならない。
4.改めて見直してどうか(2項の部分)
ようやくだが、2項での指摘について改めて見直した所感を書く。
2項での指摘は2点。
- 納得のいかない大成功
- 露骨な無印なぞり
1に関しては、2項で少し書いたが、今は全否定しない。
地元では皆が温かく支えてくれた
→しかしそれが無い東京では惨敗
という流れをやりたかったと思って見れば必要なシーンではあった。「大丈夫よ。みんな温かいから」や「これは今までのスクールアイドルの努力と町の人たちの善意があっての成功」と彼女たち自身の力による成功ではないことが明示されている。
当時は上記のような流れになると思っていなかったので「そりゃねーだろ」と拒否してしまったが、田舎(地元)と東京、の構図になる先の展開を知ってから見ると、「まあ……仕方ないか」と思える。
とはいえ、やっぱり田舎の温かさを感じる描写が足りないせいで、満員にまでなる展開は突然で無理やりすぎるし、また、せっかくのその構図も後に活かしきれているかと問われると、そうとは言い難い。結局地元の力が無いとダメなのかどうなのかハッキリしないまま進んでいる印象である。
2は見直したところでやっぱりダメである。
むしろこの先も続く方針である。
μ'sという言葉はもちろん、無印を思わせる描写が露骨に出てくる。
「廃校キター」と千歌に言わせたのは本当に許せない。
どちらかでいいのだ。
世界線が同じでμ'sがグループとして言葉や描写で登場するなら、それだけ。話の流れまで無印をなぞることはない。その逆もしかりだ。
この3話に関しても、無印3話をなぞって「観客0人」をやりたかっただけだろう。だから理由が強引になるのだ。
幕が開いて、明かりがついたら、ビックリするほどの満員の観客じゃダメだろうか。
落差が欲しいなら、ライブ前の段階でもっと不安な要素を描いてガンガン下げておけば良くないだろうか。
そんな既存ヲタク向けの要素で犠牲になっていくメンバーが可哀想である。
5.まとめ
今回3話を見直して改めて思ったのは、3話で感じた違和感は結局ずっと続く、ということだ。
もし「ラブライブ!サンシャイン!!を見てみたい」と言われたら「3話まで見てみ」と勧めるだろう。
それで楽しめたならこの先も神回が続くだろうし、私のように違和感を覚えたなら、それが大きくなることはあっても、無くなることはない。
結果だけが先行する展開は多いし、強引にそれを実現させるため、メンバーは不用意な行動、発言をさせられ犠牲になっていくのだ。
そしてその歪みがどんどん大きくなっていき、現在のサンシャインに至る。
1期3話の時点ではまだ広がりがあり、色々なとらえ方ができると思っている。上記感想に関しても私自身かなり偏った感想を書いていることを承知している。
対して2期に入った16話はもうとらえ方とか以前の問題で、話の筋がめちゃくちゃに歪んでおかしくなっている。
要は、この3話を分岐点に肯定と否定で分かれると、もう戻れない。と思う。
3話はダメだったけど、今の2期は受け入れられてる人っているのだろうか。
にしても、まさか無印の評価どころか1期序盤の評価まであがるとは、恐るべし。これは他の話も見直しが必要かもしれない。
以上です。ありがとうございました。